ベトナムは、沖縄からの偵察機の唯一の行動地区ではなく、SR-71の2番目の使用領域は、北朝鮮だった。それにも拘らず、
そこへの「道」は、インドシナと同様、A-12の飛行士がまだ続けていた。第9航空団の搭乗員は、沖縄から行動しつつ、38度線北方の状態に関する写真情報を定期的に提供した。
飛行の1つは、もう少しで国際スキャンダルで終わるところだった。1977年11月1日、北朝鮮上空にあったSR-71に、空気取り入れ口の停止、
油圧システムの故障プラス機体の上下振動及び強い揺れ等、一連の故障が襲い掛かった。飛行士は、エンジンのコントロールを取り戻し、韓国の烏山航空基地
にSR-71を着陸させることができた。当着陸は、パリ、ファーンボロ及びミルデンヘルの「第4部隊」の基地を除き、SR-71の外国の航空基地への唯一知られている着陸となった。
朝鮮上空の飛行は、吹聴されなかったが、平壌ラジオの報道が良く知られている。1980年2月27日、米空軍の戦略偵察機SR-71は、開城(江原道)
東方地区で北朝鮮領空に侵入し、西水羅里(咸鏡北道)東方に位置する地点まで飛行を実施し、そこで帰路についた。1月11日から2月27日までの間、SR-71は、北朝鮮領空を23回侵犯した。1980年6月20日金曜日、アメリカの偵察機は、開城地区で非武装地帯を横断し、北朝鮮領空に侵入した。北朝鮮政府は、米政府に抗議を表明した。1981年6月20日土曜日、SR-71偵察機は、開城地区で北朝鮮領空を侵犯し、平壌のラジオは、1981年の最初の6ヶ月間で、SR-71偵察機
が、70回以上、北朝鮮領空を侵犯し、6月20日の侵犯は、先週で3度目だと指摘した。1981年8月26日、次の侵犯機は、高射ミサイル複合体S-75ミサイルにより射撃されたが、勿論、
成果はなかった。驚くべきは、アメリカ人がこの事件にいかに反応したかである。
国務省報道官ディーン・フィッシャーは、「レーガン大統領行政府は、当行為を違法・・・国際法の規定に抵触するものと考えている」と公式表明を行った。軍用機による主権国家の領空侵犯が国際法の規定に一致しているかは興味深い。それにも拘らず、ヤンキーは、当時も、その後も、根拠もなく飛行機が金日成の国の領空に立ち寄っていないと主張しつつ、偵察機による領空侵犯を否定した。
SRによる中国偵察は、更に知られていない。上で指摘したように、偵察機は、北ベトナム上空への飛行中にたまたま中国に「引っ掛かった」が、飛行は、「中国」に対しても直接遂行された。1971年までに、中国人は、その領空侵犯に関して、約500回の抗議を表明した。1971年、SR-71偵察機の中国上空の飛行が中止された。米国は、「中国カード」を積極的に切り始め、一種の善意のジェスチャーを行った。
最終更新日:2004/04/26